2月12日(日)

lyrical schoolの新体制お披露目ライブに行った。メンバーを性別不問で募集していたからどうなるやらと思っていたが、蓋を開けてみれば男性3人女性5人、計8人の大所帯であった。これはある程度予想がついていたことではある。過去にプロデューサーのキムヤスヒロ氏がインスタライブで「リリスクという箱があって、そこに所属する人たちがライブごとに都合の良いときだけ集まれるような形が実現できるならそれが一番いい」的な発言をしていた。かなり前の話だから記憶は不確かだが、発言内容のニュアンスを大きく外れてはいないと思う。大人数のヒップホップクルーのようなものを氏が目指しているのであれば、本日お披露目されたメンバー構成も納得である。

やはり新メンバーのほとんどが素人なのか、歌唱やMCに関して未熟な部分もあったが概ね好意的な感想を抱いた。と、同時に複雑な感情が湧いてきたのも事実である。

まず、元々は女の子のラップが好きという理由でリリスクを追ってきた。ヒップホップシーンにおけるフィメールラッパーというカテゴリが好きなわけではない(誤解なきように付け加えると決して嫌いなわけではない)。例えばアイドルの、アルバムにしか収録されていないようなラップ曲や、はたまたアニメの劇中歌、あるいはキャラソンで女性声優が歌うようなラップ曲が好きなのだ。ポップでキャッチーなガールズラップが好き、というのがより正確に近い。男性ボーカルでも好きなラップ曲はいくらでもあるし、女性ボーカルでなければ聴けないというわけでもないのだが、おれがリリスクに求めているものではない……という気持ちがないではなかった。男性ボーカルが入ること自体は予想していたから覚悟はできていたことなのに、こんな気持ちを抱く自分を意外に思った。

もう一つ、おれにとって音楽は属人性の高いものであるということを痛感させられた。有り体に言えば、旧体制の5人が恋しいのである。今日のセトリはほぼ旧体制の曲で構成されていた。好きな曲もそれなりに披露されたし実際楽しかった。それは事実である。けれど同時に、この曲のこのパートの誰々の歌い方が好きだったとか、誰々の声が好きだったとかそういったことを、どうしても考えてしまう。違和感が拭い去れない。違和感を楽しむことができない。体調不良で旧体制のラストライブに行けなかったことも拍車をかけているのかもしれない。つまり、未練がましいのである。

また新体制がどうという話ではないのだが、おれの求めるものとキムヤスヒロ氏の作りたいものが、2019年発売のアルバム「BE KIND REWIND」を境に離れていったように感じている。「BE KIND REWIND」はオールタイムベスト級に好みだが、「Wonderland」で少し離れ、「L.S.」は既におれの領分ではなかった。大抵、特にニッチなジャンルにおいては、ある1人のリスナーとクリエイターが同じ方向を向いている時間というのは非常に短いと思う*1。その奇跡のような瞬間にリリスクに通えていたことは嬉しく感じるが、その奇跡をもう一度味わいたいという気持ちが今のリリスクを楽しむハードルを必要以上に上げてしまっているかもしれない。

過去に囚われてただただ面倒なことを言っているのは理解している。きっとリリスク新体制は何も悪くないのだ。後ろ向きな考えをしてしまうおれが悪い。どうか、時間がすべてを解決してくれることを祈る。

初披露された新曲「NEW WORLD」はかなり好きだ。新体制オリジナル曲が増えていけば旧体制への未練も少しずつ解消されるかもしれない。なんだかんだ言いながらもぼちぼち追っていけたらと思う。

www.youtube.com

*1:例えばクリエイターが先鋭化していく速度にリスナーがついていけない。逆にクリエイターが同じことをやり続け、リスナーが飽きてしまう。もちろんある層が離れるのと同時並行的に新たな層が定着するということは起こり得る。またこれは持論であって一般論ではない。