2月16日(木)

絶不調というわけではないがあらゆるステータスが65点くらいで、トータルで見ると50点くらいの体調である。主に睡眠不足が原因ではないかと考えているが、睡眠外来に行くほど眠れないわけでもないから気合でなんとかするしかない。それかドリエルデビュー。

仕事が終わってDAWを開く。なんとかワンコーラス尺の仮歌詞を含めたデモを作る。ここまで来るのに1ヶ月半かかってしまった。しかし歌詞が全くもって気に入らないから書き直す必要がありそう。先が長い。

デモが出来たのが嬉しかったからお酒を飲みに行く。今週は平日にも関わらず飲みすぎたしお金を使いすぎたかも。

日記を書くことは精神の安寧に繋がると思っていたが案外そうではなかったように思う。何をしていて何を考えていたときに調子が良かったのか/悪かったのか見返すことができるのはメリットだが、日記を書く行為それ自体がメンタルをネガティヴな方向に引っ張っているように感じる。日記の功罪。

日記を書く、というか文章を書く行為は、無意識下で曖昧にしていることを確定させていく作業でもあると思う。例えば「ある出来事に対してAと思った」という文章を書くと、Aと思っていたような気がしてしまう。実際の思考はもっと曖昧で、断言できるようなものではないのにも関わらず。Aという感情があればBという感情もあり、Cという感情、Dという感情だってあるだろう。ただ思考を占める感情の濃度はそれぞれ違うから、最も濃度の高いAに基づいて日記を書く(毎日書く文章に複雑な感情を反映させるのは面倒で、まどろっこしい)。時間をかけて文章を練っているうちに低濃度の感情はだんだん無視されていく。曖昧に保留してきた感情が、自分の書く文章によって規定される。制御される。

話は戻るが、つまり、ネガティヴに引っ張られやすい人間が日記を書く(=その日何を考えていたかを文字に起こす)と、実際はポジティヴも持ち合わせているのに、気付かないうちにネガティヴが優先されていくのではないかということ。そして恐らくおれはそのネガティヴに引っ張られやすい人間であるということ。もっと行動を主体に日記を書くべきかもしれないが、そうすると平日は仕事をしてお酒を飲んだ以外に書くことがなくなってしまう。とりあえず、まだ1ヶ月半しか日記を書いていないわけだから経過観察を続けたい。上手い付き合い方を探していく。