言い訳など

今年は日記を書くと意気込んでいたのにさっぱり更新していなくてごめんなさい。これにはいくつか理由があるんですけど、やっぱり働きながら納得のいく文章を生み出すのは難しいというところに尽きます。出涸らしのような文章を書いてもしょうがないという気持ちが拭えない。これは他者からどう見えるかではなく、おれが納得できるかに重点が置かれています。おれが出涸らしだと判断したものを世に出すのは難しい。今あなたが読んでいるこの文章を、あなたが出涸らしだと判断する分には反論するつもりはありません。

それはさておき、突然ではありますが、このブログの大半の記事(~2018年くらいのもの)を非公開にし、ツイッターでも20万件ほどツイート削除を行いました。

おれは過去の自分のいかなる痛い行いも許してあげたいと思っています。つまらない診断メーカーを真に受けて一喜一憂するもよし、つまらないバトンにつまらない回答をしていてもよし、つまらないネットミームで盛り上がっていてもよし、全て若さゆえ……という気持ちでいたのですが、どうも昔のおれと今のおれでは根底にある倫理観がまるで違うようなのです。今のおれでは到底許すことのできない倫理をなんの悪気もなく振りかざしていたりする。それが例えば特定のワードで抽出できて、対象のブログ記事やツイートを一括でインターネットから削除できるならそうするべきだったと思います。しかしそんなことは不可能で、ひとつひとつ過去の自分の言動を検分するコストを考えると一括で削除/非公開を取るしかないという考えに至ったわけです。過去の自分を愛したいという気持ちとデジタルタトゥー的炎上のリスクを天秤にかけると後者を取らざるを得ませんでした。痛さは愛せるけれど倫理観の乖離は愛せない。

2019年頃は今のおれと地続きにある……というより当時の文章を読んでいて思考回路が理解できる時期であるので、以降のものは残しました。今後はできる限りブログ記事やツイートを残していきたいと考えています。やっぱり昔のしょうもないツイートに突然通知がついて笑ったりしたいじゃないですか。もちろん恥ずかしくもあるけれど。