2月17日(金)

今仕事が忙しいのかどうかどうもよくわからない。割り当てられている作業をどれくらいの熱量でやればよいのか。どちらにせよ淡々とやるしかないのは間違いないのだが、どれくらい気合を入れた上で淡々と進めるべきか、というのが問題である。常に全力フルスロットルで仕事をしている人間などいない、と思いたい。

そんな中退勤をする。リモートワークだから退勤しますと告げれば退勤完了である。しかしどうしようもなく眠い。ただ早い時間に眠ると高確率で日付が変わるくらいに起きてしまい、そのまま朝まで眠れない。かといって眠気覚ましに何かやろうにも眠すぎてやる気が起きない。LJLやMリーグを観ながらなんとか24時ごろまで過ごす。ところが今度は全く眠くならない。それでも布団に入ってみる。眠くならない。スマホを弄る。布団から出る。暇だから通話が立っているディスコ鯖に入る。2時ごろまで時間を潰す。布団に入る。眠くならない。スマホを弄る。YouTubeを観る。3時過ぎくらいに今から飲まないかという連絡が来る。悩む。なんだかんだありつつ結局行く。6時過ぎくらいまで飲む。帰宅。寝る。こうして平日への負債が溜まり、睡眠サイクルはますます崩壊していくのだろう。どこかのタイミングでリセットしないとそろそろまずい気もする。

2月16日(木)

絶不調というわけではないがあらゆるステータスが65点くらいで、トータルで見ると50点くらいの体調である。主に睡眠不足が原因ではないかと考えているが、睡眠外来に行くほど眠れないわけでもないから気合でなんとかするしかない。それかドリエルデビュー。

仕事が終わってDAWを開く。なんとかワンコーラス尺の仮歌詞を含めたデモを作る。ここまで来るのに1ヶ月半かかってしまった。しかし歌詞が全くもって気に入らないから書き直す必要がありそう。先が長い。

デモが出来たのが嬉しかったからお酒を飲みに行く。今週は平日にも関わらず飲みすぎたしお金を使いすぎたかも。

日記を書くことは精神の安寧に繋がると思っていたが案外そうではなかったように思う。何をしていて何を考えていたときに調子が良かったのか/悪かったのか見返すことができるのはメリットだが、日記を書く行為それ自体がメンタルをネガティヴな方向に引っ張っているように感じる。日記の功罪。

日記を書く、というか文章を書く行為は、無意識下で曖昧にしていることを確定させていく作業でもあると思う。例えば「ある出来事に対してAと思った」という文章を書くと、Aと思っていたような気がしてしまう。実際の思考はもっと曖昧で、断言できるようなものではないのにも関わらず。Aという感情があればBという感情もあり、Cという感情、Dという感情だってあるだろう。ただ思考を占める感情の濃度はそれぞれ違うから、最も濃度の高いAに基づいて日記を書く(毎日書く文章に複雑な感情を反映させるのは面倒で、まどろっこしい)。時間をかけて文章を練っているうちに低濃度の感情はだんだん無視されていく。曖昧に保留してきた感情が、自分の書く文章によって規定される。制御される。

話は戻るが、つまり、ネガティヴに引っ張られやすい人間が日記を書く(=その日何を考えていたかを文字に起こす)と、実際はポジティヴも持ち合わせているのに、気付かないうちにネガティヴが優先されていくのではないかということ。そして恐らくおれはそのネガティヴに引っ張られやすい人間であるということ。もっと行動を主体に日記を書くべきかもしれないが、そうすると平日は仕事をしてお酒を飲んだ以外に書くことがなくなってしまう。とりあえず、まだ1ヶ月半しか日記を書いていないわけだから経過観察を続けたい。上手い付き合い方を探していく。

2月15日(水)

異常に眠い。それなのに夜は寝付けない。

フロクロ氏のScrapboxを読み続けている。面白い。ここにもかなりの情報やメモが掲載されているが、実際はプライベートなScrapboxを持っていてそこに全てをメモっているらしい。おれも見習った方がいいかもしれないと思う一方、なんでもかんでもメモるためにはそういう性質が必要であって並の人間には難しいのではないかとも思う。日記を書き始めてからというものの、公の場で書くほどではない、あるいは到底書くことなどできないことでも記録として残しておきたいことの存在を感じている。気が向けばスマホのメモ帳だったりdiscordのプライベートサーバーだったりに残すようにしているが、管理が杜撰すぎて読み返すことは難しい。そもそも日記ですらいつまで続くかわからないのにそれ以上のことに手を出そうとしているのが間違いなのではないか。ひとまず日記を頑張る。

友人と銭湯に行く。主に最近のバラエティ事情を聞く。おれ自身は本当にテレビを観なくなってしまった。わざわざTVerやらTELASAやらAbema TVを使う暇があればYouTubeを、ネットフリックスを、あるいはdアニメストアを観る生活を送っている。確か5~6年ほど前は全てのエンタメを頭に入れておこうと必死で、有名なバラエティや深夜ラジオ、本、映画などを躍起になって摂取していたと思う。長いこと芸能に明るくない人生を送ってきたから、著名な芸能人の名前をそこで初めて知るなんてことも多かった。そのとき仕入れた知識を切り崩しながら、今でもなんとか芸能周りの会話をしている。そろそろ知識をアップデートしないと限界を迎えるかもしれない。

深夜、唐突に約15年前に受けた理不尽に対して怒りが込み上げその旨をツイートしてしまう。親や教師といったパワーバランスに圧倒的に差がある立場の人間から受ける理不尽を、社会人になった今でも唐突に思い出しては当時の温度感で怒ってしまうことがある。病的ではある。立場の差ゆえに理不尽を受けたときに徹底的に言い返すことができなかったのが心残りなのかもしれない。つまり酷い理不尽を感じたらその場で徹底的に争うべきで、なあなあにするべきでない。逆アンガーマネジメント。怒りを感じたら6秒以内に感情を発露すべき。でないと、15年前の出来事についてインターネットでねちねちと語るモンスターになってしまう。

2月14日(火)

納期が延期になった結果、どれくらい力を入れて仕事をすればいいのかよくわからない。昨日までは終わらないなら残業しろという雰囲気が漂っていたが、今は残業した方がいいのか退勤していいのか全くもって不明である。おれたちは雰囲気で仕事をやっている。

リファレンスとパクリについて考える。drop - みけねこtwinkle night feat.somunia - nyankobrq & yacaがリファレンス(元ネタ)であることはほぼ間違いないと思うけれど、パクリとして糾弾するほどではないと思う(が、正確なところはよくわからない。その辺り詳しい人間に判断を任せる)。著名な楽曲であっても実は洋楽の何々が元ネタで~というのはよくある話だが、やりすぎるとORANGE RANGEのように怒られるわけでその境目はかなり曖昧で難しい。dropに関しては、広い括りでは一応同じ界隈(VTuber / Vsinger?)の楽曲をリファレンスにしたのはちょっと不誠実であるように感じるけれど、所詮感情の問題に過ぎない。ちなみに、今まで自分が作った曲の中にも明確にリファレンスが存在するものがあるが、最終的に元ネタとは似ても似つかない楽曲になった。なぜか。それはおれの技術が不足しているからである。……もっと実力をつけてから考えるべきことなのかも。

バレンタイン自虐ツイートすらほとんど見かけなくなって久しい。TLのまあまあの割合の人間が既に結婚をしている(あるいは結婚を経験している)というのもあるし、自虐自体が使い古され飽きられた手法だというのもあるだろう。そもそも、非モテというのがまずウケない。リア充、魔法使い、彼女いない歴=年齢あたりのワードがしっかりとした強度を持ったネットミームだった時代はもう終わった(とはいえ異常独身男性など根強く残っているものもあるにはあるが)。生涯未婚率は高くなって童貞は珍しいものではなくなったし、インターネットはナードとギークのおもちゃではなくなったのだ。孤独な人間(もちろんおれのことである)の明日は如何に。

2月13日(月)

納期が近いためか仕事がやたら忙しい。いや忙しいというか、問題の解決方法がわからず作業が進められないから、唸ったり問い合わせ待ちをしたりしている時間がやたら長い。おれの手からは離れた領域にある段階まで来ても、レスポンスはすぐ返せる状況にしておかなければならない。リモートワークだからそこまで苦にならないとはいえ、面倒ではある。納期というのは非常に恐ろしいものである。

流石にもうやることがないだろうという状況になったタイミングで抜け出してお酒を飲みに行く。帰ってくるとちょうど状況が進展していたから、一言二言チャットを打って布団に入る。無理矢理お酒を飲みに行ってよかった。きっと残業して寝るだけのような生活におれは耐えられないだろう。よっぽど仕事に楽しみを見出だせるなら話は別かもしれないが。