夏の思い出

母校では「夏課外」という名の、あくまで任意参加という体ではあるが特に参加の希望を取るわけでもなく当たり前のように参加させられ、且つ、午後には合唱・出し物の練習や体育祭競技の練習を行うため参加しなければ夏休み明けすぐに開催される文化祭や体育祭ですら立場がなくなるといった人間が考えたとは到底思えない補習が夏休みに行われていた。

そんな夏課外のある日のこと、まだ夏休みに入ってすぐの七月末のことだった。

いつものように国語の授業で居眠りをした。夏課外くらい始業時刻を遅くしてもいいのではないかと常々思っていたが、対して平常時と変わらない時間に授業が始まるため、早起きしては毎朝片道10kmの道のりを自転車で通学する日々を送っていた。これでは授業中に居眠りするのも仕方がない、もし神がいるのであれば神であっても涙を流して許してくれるであろうし仮に許して貰えないのであれば是非神にも同じ生活を送ってもらいたい。恐らく、神も毎朝6時に起きてはいないであろう。

それはさておき、今回は教師や居眠りをしている学友にちょっかいを出したりわざと教師に気づかせるように仕向けたりする意地の悪い人間に邪魔をされることなく惰眠をむさぼることに成功した。

しばらくして惰眠から目覚めると、そこは夏であった。

教室の電気は消灯しているが明るく、かといって日が直接差し込んでいるわけでもない。心地の良い風が教室に入って、窓から見える木々は葉が日に照らされながら揺れている。国語教師は相変わらずよくわからないことを喋っていて、周りを見渡すと数人が居眠りをしていて、意地の悪い人間につつかれたりしている。スクールシャツの中は少し汗ばんでいる。

あの瞬間以上に夏を感じることは後にも先にもないだろうし、今になってみれば夢の中の光景だったのではないかとさえ思える。

夏休み、お盆以外の週は毎日のように学校に行って、文句を言いながらも夏課外を受けて、午後は文化祭と体育祭の準備をして、帰りにかき氷を食べて、あのときの夏を、今後の人生で一度でも、超えることは出来るだろうか。

鉄腕DASHのグリル厄介

鉄腕DASHの番組内コーナー、グリル厄介について、まず知らない人に説明をすると、カミツキガメやプレコといった外来種を一流シェフに調理してもらい美味しいということを証明することで食用として話題になり、外来種の数を減らせるのではないかといった内容の企画です。

発想自体は面白いと思いますし楽しんで見ているのですが、調理の際にその外来種特有のクセを消す方向で調理をするのであればその外来種を食材として使う必要性が見えてこないので少しもやっとしてしまいます。

例えば、カエルの味は鶏肉に似て美味しいといった表現がよくされますが、それなら鶏肉を食べればいいのでは、という話になってしまいます。もし本当にカエルを食べてほしいのであれば、カエルはカエルの味がして美味しい、という方向性でマーケティングするべきです。

もちろん民放の番組内の一企画に外来種を減らすことを求めているわけではないです。ただ、好きな番組なだけに少し気にかかる部分であったので言及しました。外来種を食べて楽しもう!といった主旨であれば文句を言うところもなかったのですが…。

ちなみに、これは私の経験ですが、イナゴの佃煮は美味しいと思うのですが、カイコのサナギの佃煮は土で出来た豆のような味がして不味かったです。

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キャー

やりたくないことをやりたくない

やりたいこととやらなきゃいけないこと、やりたいけど時間の関係でほぼほぼ無理なこと、やりたいことをやるために我慢したり努力したりしなきゃいけないこと、そういう諸々のことを整理して優先順位を付けていく段階に来ていて、というより、全てのことを行うことは不可能なので、そういうことは生まれた段階から意識しておくべきだけれど、この年齢になってようやく整理・順序付けをしなければいけないということに気づいてしまった。

やりたくないことをやりたくないし、本当に人生に残された自由時間は少ないということをもっと強く意識して生きていきたい。

とにかく、やりたくないことをやりたくない。

僕は夏よりも冬が好きだと思っていて、例えば、寒い中温かい布団の中に入るのを何よりの楽しみにしていたし(もちろん朝は起きれなかったけれど)、中高生のときには制服は冬服を着ているときが一番安心した。

でも実際にはそうではなくて、恐らく、一番好きな季節は夏である。

夏という季節はフィクション性が強い。あらゆる青春物語(あるいは現実の学生生活)は卒業シーズンに次いで夏が大きな転機となるし、世間的にもきらびやかなイベントが山ほど開催されて、季節が夏というだけで日々がフィクションであるかのような、フィクションの世界に放り込まれたような、そんな錯覚を起こす。

今年も夏が近い。