ダンガンロンパシリーズをやりました

 ダンガンロンパシリーズ(1,2,V3)をやりました。久々に時間をとってプレイしたコンシューマゲームだったので、せっかくなら、ということで感想を書いていきます。ほとんどネタバレはしないつもりです。

 

 いきなり悪い点から書き始めます。すみません。でもこれだけは言いたいんですけど、このゲームの「学級裁判」ってそこまで面白くないミニゲームが追加された逆転裁判なんですよね。

 相手の矛盾した発言に、事件の証拠を弾丸にしたもの(=コトダマ)を打ち込むことで議論が進行していくんですが、このシステム自体にはあまり文句はありません。しかし、矛盾がわかっている、あるいはトリックがわかっているのにどういったコトダマを打ち込めばいいかわからず苛々するシーンが多々ありました(これはおれの頭が悪いのが問題かもしれませんが……)。

 議論の最中にはシリーズごとに特有のミニゲームが挿入されるんですが、BGMのテンポと合っていない音ゲーをやらされたり、意味もなく車を運転したりとこれまた苛々の元でした。また、ミニゲームが挿入されるときはたいてい答えがわかりきっているときか、NPCが言いがかりレベルの暴走をし始めるときという点もマイナスです。

 議論以外では、特にV3(シリーズ3作目)の移動の面倒さが気になりました。1はほぼ全ての移動を3Dマップで行うのですが、それほど移動可能範囲が広くないのでストレスを感じることはありませんでした。2では移動可能範囲は広がるものの2D移動パートが追加されたことで快適にプレイすることができたと思います。2D移動と3D移動のバランスは2が一番良いと感じました。

 さて、問題のV3なんですが、1のように3Dマップでの移動がメインでありながら、2のように移動可能範囲が広いという1と2の悪いところを併せ持ったようなマップになっていました。ハードもPSPからPS Vita/PS4になり、出来ることとやりたいことが増えたというのがわかるマップにはなっているのですが、ワープ機能が使いやすいわけでもないためかなり苦痛でした。

 

 ここまで、ダンガンロンパのあらゆるゲームシステムを否定する勢いなんですけどもちろん良い点もあります。良い点がなかったらおれのゴールデンウィークが潰れるわけがない。では事件のトリックが巧妙なのか?というとそんなこともなくて、ただただストーリーが良いのです。

 シリーズ通して物語終盤の盛り上がりは必見、そのカタルシスには特筆すべきものがあります。特に2は最高傑作でしょう。ぜひネタバレを見ずにプレイすべきだと思います。このゲームには、学級裁判でひたすら不満が溜まったとしても、どうしても物語の結末が見たくなってしまう不思議な引力があります。

 終盤以外はどうかというと……(主に学級裁判で)心が折れそうになった場面も多いですがクローズドサークルで気が滅入ってる主人公の感情を追体験している!という体で頑張ってプレイするといいと思います。

 あとは魅力的なキャラクターが多いので、キャラクター同士の掛け合いも楽しめるのではないかと思います。おれは罪木蜜柑ちゃんが好きです、オタクですみません。

 

 ネタバレなしで語れるのはこれくらいですね。気になった方がいたら1と2だけでもプレイしてみるといいと思います(2だけとかV3だけとかプレイするのはおすすめしません、絶対に)。文句ばっかり書いてますが、ゴールデンウィークとその次の土日がこのゲームで全部潰れたのでけしてつまらないゲームではないと思います。

東京大学を卒業しました

せっかく大学を卒業したのだから、そして何よりこれから先のタイミングでは自分語りをするタイミングなどなさそうなので、大学生活最後の文章を書き連ねようと思います。

 

2014年4月、晴れて東京大学に入学しました。高校に入学したときには東京大学に入学するなんて夢のまた夢、宇宙飛行士になるくらい難しいものだと思っていたのにまさかの現役合格です。何もない地元から飛び出し、きっとおれの人生はこれから始まるだろうという予感すらありました。高校生のころは勘違いしていましたが、東京大学に入ったからといって何者かになれるわけではありませんでした。既に何者かである人間は、努力すらせずに東京大学に入学するし、いずれ何者かになる人間はたとえ東京大学に入学しなくても、何かを為すのだと思います。

 

生物オリンピックや化学グランプリ、科学の甲子園といったイベントで知り合った友人たちと交流があったせいか、自分はアカデミア側の人間だろうと信じて疑わず、大学の選択科目ではより難しい方を選び、サークルも自然科学系のゼミに参加するなどしていました。これがいわゆる学生が陥る四月病であることは考えもせずに……。

家から大学が遠かった(片道1時間)ということもあったとはいえ、案の定、すぐに大学に足を運ぶ回数は減り、ゼミもガイダンス含めて2, 3回の出席しただけでギブアップ。おまけに趣味(主にポケモン)で繋がった友人と遊ぶのに夢中で、もう一つ所属していたサークル、ゲーム研究会も幽霊部員となってしまいました。会誌原稿も書けずに投げ出したり、迷惑をかけたと思います。もし当時の会員でこれを読んでいる方がいたら謝罪したいです。

大学にも最低限しか行かない、インターネットの友人と遊ぶ、サークルにも行かない、となれば何が起きるかというと、大学生活における孤立です。インターネットで東大生の知り合いを作ればよかったんですけど、ツイッターの大学生ノリがどうしても受け入れられず、SNS上では東大に所属していることを隠していた時期もありました。それでも一応、同じ言語クラスの友人とは仲良くやれていたんですが、四月病のせいもあり順当に単位を落として留年、クラスの友人とも離れ離れに。孤立は深まるばかりでした。

 

留年したとはいえ、他の留年生よりはだいぶ単位を取っていたので、2回目の1年生で取らなければならなかった単位数は一桁前半だったと思います。とにかく、ひたすらに暇でした。

2015年5月、ポケモンカードの大会のために愛知、千葉、北海道、大阪と各地を回りました。この大会自体はすごく楽しく、今でもいい思い出なんですが、大会後に燃え尽き症候群のような状態になってしまい、メンタルの回復にだいぶ時間がかかりました。当時、ポケモンカードの全国大会は実質1年に1度しかなく、リベンジに燃えようにもその1年が果てしなく遠く思えたのです。

 

この頃、ポケモンカードの他にハマっていた趣味がアニクラでした。アニクラとは、簡潔に言うとアニソンがかかるクラブです。ポケモンカードの大会がないときは毎週のようにアニクラに行っていて、ついには自分でDJ機材を購入。最初は自宅で好きな曲を繋いで楽しんだり、ポケモンのオフ会の余興をしたりするだけでなかなか日の目を見ることはありませんでしたが、翌年2016年の五月祭でその状況は一変しました。

タイムラインでたまたま見つけた五月祭「あにまじっく!」でのアニソンDJの募集ツイート。現場で回してみたくてしようがなかった自分はなりふり構わずDMを送ったのでした。

あにまじっく!でのプレイはそれなりに好評で、それはそれは嬉しかったものです。調子に乗ってこれを機にさまざまな公募に手を出し、現場の数が増え、それからは少しずつオファーをいただくこともできました。本当にありがたい経験でした。ラウンジとはいえ、あのclub asiaにDJとして立ったなんて信じられないことだなと思います。今では諸事情ありほとんどDJ活動はしていませんが、これらを通して知り合った友人も多く、あにまじっく!がなければ今の自分はなかったでしょう。あにまじっく!の創始者であるさわみるさんには感謝してもしきれないです。

 

DJ活動をしていた時期とほぼ同時期に、アース・スター ドリームという声優アイドルグループにハマりました。推しは中島由貴さんでした。高校生の頃、ももいろクローバーZ百田夏菜子さんにドハマリしていた時期を彷彿とさせるくらい、あるいはそれ以上の熱量で中島由貴さんにドハマリしていました。ポケモンカード含む売れるものは全部売ってお金を捻出しライブやら特典会やらとにかくお金を使いました。本格的に追っていたのは1年弱くらいでしたが、大学生活の中で最もきらきらしていた時間であったことは間違いないと思います。

 

そんなアース・スター ドリームにもだんだん行かなくなり、大学の成績はもちろん悪かったので進学振り分けで希望の学科にも行けず、メンタルが下降していったのが2017年のことです。

住めば都という言葉がありますが、確かに、都とまではいかないにしても楽しい学科(正確には専修といいます)でした。上述の通り、大学にはほとんど友人がいなかったので、学科に進んで仲のいい友人ができたことも嬉しかったです。しかし、ただただ、学科で勉強する内容に興味を持てなかったのです。大学院に進んでこの分野の勉強を続けるのも、やりたいことが全く見つからないのに働くのも地獄だなと考えては落ち込んでいました。この頃、意図的に自虐的な思考をすることでメンタルをできるだけ下降させて、鬱々とした状態でストロング缶を飲むことにハマっていたので、もしかしたら鬱病だったのかもしれないと今でもたまに思い返します。

 

翌年、とにかく就活が嫌だったので、院試を受けることにしました。実際、院試の出願タイミングではまだ研究とはいえ簡単な作業が多く、新鮮であったので、これならやっていけるかも……と思っていましたが、すぐにその考えは撤回することになりました。研究を続けられる自信もなく、気乗りしないまま勉強をしていたら、見事に院試に落ちました。ただ、このとき受かっていたとしても、おそらく大学院を卒業できていなかったんじゃないかと思います。それくらい、卒論の過程では痛い目を見ました。

 

その後はポケモンカードに復帰したり、アイドルに再度ハマったりとありましたが、院試落ちからの留年後、ついに就活が始まりました。就活で自分を否定し続けられるのがきついというような話がありますが、それよりは、エントリーシートに誇張した自己アピールを書いたり、面接で思ってもいないような志望動機を口にしたりすることがひたすらに苦手でした。そのせいでESや面接を避け続け、気がつけば8月も終わりかけていました。最終的には内定を貰いましたが、それにもいろいろありまして、ただただ自分は運が良かったなという思いです。

 

周囲に学科の友人がいない状況で書く卒論は相当しんどかったです。これも留年した自分が悪いのですが……。本当に、指導教員や学科の諸先輩方には迷惑をかけたと思っています。卒論発表を終えた瞬間すら、罪悪感や申し訳なさを強く感じるばかりで達成感など毛ほどもありませんでした。そう思うならもっと真面目にやればいいのに、と思われるかもしれませんが、当時の自分はできる限りの力を尽くしたつもりでした。ただただ、元々の能力が足りなかったのだと思います。能力がないならないなりに、もっと早くから努力すべきだったのです。

卒論が終わって、楽しみにしていたアイドルのライブに行こうと思ったところにCOVID-19で開催中止、延期、中止、延期……。人生最後の春休みは無残に散ってしまいました。そんな未練を残したまま、明日から社会に放り込まれるのだなと思うと悔しくてしようがありません。

 

大学生活を改めて振り返ると、過信から始まり、東京に浮かれ続けて特に努力もせず遊び呆けた6年間だったと思います。けして後悔しているわけではありません。物心がつき、テレビを見始めたころ、あるいはコロコロコミックを読み始めたころからずっと、東京にあこがれていたのです。そのあこがれの東京に住んでいて、あの渋谷を、新宿を、上野を歩いていると、おれは夢の中にいるのではなかろうかと、上京して丸6年経った今でも思うことがあるのです。勉強が苦手なぽんこつ東大生で、友達も少ないし、夢も野心もなかったけれど、おれは幸せな6年間を送ったのだと思います。

これは、4月から東大生になる人間の道標になるような文章でもなければ、反面教師になることを目的として書かれた文章でもありません。ただただ、大学生活最後に自分語りをしておきたかっただけなのです。

それではみなさん、社会人になっても何卒よろしくお願いします。

曲をつくりました

 こんな世の中なのでおれも音楽でも始めようかな……と思い、取り急ぎ2曲つくりました。サンクラに上げるのも恥ずかしいので、ここで聴いてください。

 

タイトル「はじめてのDTM

 

タイトル「ヤドン

 

 ヤドンの方は有名なコード進行を調べてつくってみました。はたしてDTM初心者っぽい曲になっているでしょうか?

2019年総括

 2019年は簡潔にまとめるとlyrical schoolと桜エビ~ず(現ukka)の年でした。ちなみに、去年はアイドルネッサンスモテキの年でした。

 今年の前半は就活をしなきゃという気持ちとポケモンカードをしなきゃという気持ちがせめぎ合った結果どっちもやらずにぱっとしない毎日を送っていました。ポケモンカードのシーズンが終わって暇になったので(しかし未内定)、今年はアイドルをちゃんと観る年にしようと思い、何気なくlyrical school(以下リリスク)と二丁目の魁カミングアウトの対バンライブに行ったことが人生の転機になりました。音源は聴いていたけれどこんなに良いライブをするんだと感銘を受けて思わず物販でTシャツを買いました。メンバーのこと何も知らないし特典会に行っても仕方ないなという気持ちが強かったんですが、勇気を出して握手会に並んだらminanちゃんにめちゃくちゃ優しく対応されて本当に嬉しかった記憶があります。minanちゃんがいなかったら今のおれはいなかったかもしれない。本当にありがとう。

 そこからはリリスクを中心にTIFを始めとしたさまざまなアイドルイベントに行ったわけですが、夏くらいまでは桜エビ~ずが一番好きだったんですよね。特にTIF1日目(というか1日目しか行ってない)のHOT STAGEの桜エビ~ずが本当に圧巻で、こんなにいいライブをするアイドルがいるのか、といたく感心しました。ちょうどその頃、桜エビ~ずのYouTubeチャンネルが毎日更新されていて、メンバーの人となりを知ったことで更に好きになってしまいました。

 リリスク夏祭りがあまりにも最高のイベントだったり、フリーライブが高い頻度で開催されていたりで、徐々にリリスクに気持ちが傾いていったわけですが、今年はリリスクだということを決定づけたのがアルバム『BE KIND REWIND』のリリースです。これは、もしかしたら、おれの人生のベストアルバム『orbital period』(BUMP OF CHICKEN)に匹敵するかもしれないアルバムだったのです。各楽曲のクオリティ、アルバム全体を通しての出来、どこを取っても素晴らしい。このアルバムのリリースを機に毎日リリカルスクールのことしか考えられなくなってしまいました。

 そして今に至ります。今でも毎日リリカルスクールのことを考えています。未だに飽きる気配すらない、何十回何百回でも、まだまだリリスクのライブに足を運びたいです。2020年1月1日にはBE KIND REWIND Expanded Editionがデジタルリリースされて、今までライブ盤でしか音源化されていなかったライブアンセム、NOW!がついに音源化するのです。今、リリカルスクールを追わないと今後後悔するんじゃないかと思います。アイドルが好きでラップが好きという方は是非食わず嫌いをせずリリカルスクールをよろしくお願いします。

 最後に、2つの動画を貼るのでせっかくここまで読んだ方はどうせなら動画まで観ていって欲しいなと思います。本当に素晴らしいものなので……。