ワーク・中二病・バランス

 むかーしむかし、というほど昔ではないけれど、じゃあいつなのかと具体的に聞かれると口ごもるくらいの昔、少年あめあられは、会社員になって灰色のオフィスで働くなんていう灰色の人生は絶対に送りたくない!と思っていました。実際には思っていただけではなく、周りの人間にも同じことを言っていて、たぶん同級生には相当痛いやつだと思われていただろうし、ましてや大人にどう思われていたかなんて考えたくもありません。今のおれからすると、そう言い切れる昔のおれが羨ましくもあり、恥ずかしくもあり。ただ、今のおれは、昔のおれが馬鹿にしていた会社員を目指していて、よっぽど会社選びを間違えなければ、会社員になってそれなりに幸せな人生が送れるのだろう、とすら思っています。まあ今年は就活失敗したんですけど。来年は頑張りましょう。果たして本当に頑張れるのでしょうか?

 話は戻ります。じゃあ少年あめあられは一体全体将来何になりたかったのだろう、とふと思いました。大学の研究室で論文を読むふりをしてずっと考えました。ところが、これがまったく思い出せないのです。昔のおれは、灰色の人生を拒んでいたからには、きっと何かなりたいものがあったに違いありません。なんだったのかなあ。眩しい。

 こんなつもりじゃなかったのになあ、という思いは絶えないけれど、もう止まれないみたいで、これから、なんとなく就職して、なんとなく終わっていくんだと思います。それが嫌なわけではないし、むしろ望んでいることでもあるはずなのに、すこしだけ悲しくなるのです。中二病を完治させないとだめなんでしょうね。でも、まだ中二病にすがっていたいと思うおれがいるのも事実です。中二病、完治させなきゃだめでしょうか?これからも、うまく付き合っていくことはできないでしょうか?なんといったって、中学の頃からの腐れ縁なので。やさしくしてくれ、中二病にも、おれにも。

このブログは日記というタイトルなのだから

 もっと日記を書いていこうと思ったのです。もちろんこんな試みは今までに何度も行われていて、三日とは言わずとも坊主をすぐにやめてしまっています。どのような文体で書くかというのは大変にむずかしい問題で、格好のいい文章を書こうとすると、文豪のまち文京区に住んでいるということも相まって、それなりに気持ちよく書くことができますが、それと同時に自分の語彙の貧弱さであったり、表現の浅ましさに苦しむことになります。かといって、今回のように砕けた文章を書こうとすると、ただただ頭の悪いことを露呈しているような気持ちになって、なんとなくばつの悪い思いをします。今、「ばつの悪い」の使い方が合っているかどうかを調べたけれど、それすらもよくわかりませんでした。こんな状況では格好のいい文章を書ける日など何年経っても訪れないでしょう。もっとたくさん本を読むといいかもしれない。

 じつは、読みたい本自体はたくさんあって、都内のあちこちのブックオフに行っては漫画を買うついでに百円の文庫本を買ったり買わなかったりしています。ほとんどが積んだままになっていて、部屋の方方に投げ捨てられています。本棚が小さいので、本たちは本棚の肥やしにすらなれません。これは悲しいことです。ブックオフに通っていることからもわかる通り、おれはたぶん、真の本好きではないのです。高校生のときに月並みに村上春樹にハマってみたり、最近ではアニメがきっかけで森見登美彦の本を集めてみたりしたけれど、活字を読んでいないと耐えられないというわけではないし、最初の一頁目をめくる指が重いし、他の趣味が忙しければ読書のことなんてすっかり忘れてしまうし。でも、それでもおれは、本好きを装うために、思い出したときにはそれらしい本を読んで、文学のことがわからないなりの感想を雑に吐き出してみたりしようと思うのです。

 でも、今はちょっと読書をやめています。なぜなら、将太の寿司(期間限定無料配信)を読むのに忙しいから……。